先日もご紹介しました、山極氏の著書「スマホを捨てたい子供たち」の中で、情報社会で、人間の生身の触れ合いが削がれ、人間性が失われるという主旨のことが書かれていたように思います。その中で、ある言葉に出会い、大きな影響を受けたと感じている、その言葉は「共食」でした。

人間は、同じ共感を持つことで、結びつき・繋がりを感じてきました。それは芸術であったり、音楽であったり。そしてその中で、一番大きなものが「共食」、一緒に食べるということです。これは、今の私に大きなヒントとなりました。

そして、私の頭に浮かんだのが「共飲」。一緒に飲むこと。私は、飲むのが大好きで、今までよく飲んできたと思います。妻からは、そんなくだらないことはやめなさいと愛のメッセージを送られていましたが、今までやめようと思ったことがない。一番大きな理由は、自分の人生で飲めることで得られたものが大きかったという「屁理屈」でした。でも、この「共食」という言葉に出会った今、一緒に飲む人たちが、何かでつながる瞬間を感じていたかが、なんとなくわかる気がしました。

もちろんお酒が飲めない人、お酒が嫌いな人もいますので、それを推奨しているのではなく、「共感」の必要性を見直すべきと思ったわけです。それは、食べること、飲むことでなくてもいい。つまり共Xでいいのです。共カラオケとか、共風呂とかね。