イラン戦争に関連して書きます。
私たち日本人には、ピンと来ないのですが、西洋の人たちは、多かれ少なかれ、聖書の教えに縛られています。旧約聖書、新約聖書で内容は異なりますが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、これらの宗教の人たちは、聖書の教えに逆らえない何かを抱えています。これらの教えに共通しているのは、宇宙は、神が創造したもの、神は、正しいものを助け、間違ったものに、征伐を加える。神に従うものを救い、神に逆らうものを戒めるというものでは、ないでしょうか。
私たち日本人には、それとは異なる概念が埋め込まれています。一つは、神道。神は、民とともにあり、同じような欲を持ち、同じような過ちをする。崇拝しているのは、自然であり、宇宙です。もう一つの仏教。これには、宇宙の創造主はいない。神が何かをするのではなく、宇宙という哲学が存在するだけ。過ちを犯した人を神が裁くのではなく、過ちが結果として何かをもたらすという因果の法則。そこには、神の怒りも温情もありません。
今、アメリカという国が、イスラエルと共に、イラン戦争を起こしています。結果は、誰にも分かりませんが、これは、国家間の紛争ではなく、宗教的な行為であるという説があります。その基本は、聖書にある、エゼキエル戦争です。この宗教的なものが背景にあるなら、この戦争は、短期には収束せず、世界を巻き込む、大きな崩壊をもたらすことになります。
聖書は、イスラエルの民を中心にした物語ですから、世界のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の国は、この聖書の物語の呪縛を受け行動することになります。トランプ大統領のアメリカでも、イギリスの首相が誰であれ、フランスの大統領が誰であれ、同じことです。そして、最後は、そこに書かれたエゼキエルの戦争で、世界は、滅亡し、最後に神が再臨し、世界をまとめるという筋書きに向かって進むことになります。
面白いのは、聖書には、日本は登場しない、ということです。もちろん、キリスト教の呪縛もありません。神道や仏教は、エホバの神とは、接点がないのです。世界が、エゼキエルの終末に向かったとしても、日本は、そこに巻き込まれる必然性がないということになります。ここから先は、皆さんで考えてください。世界は、どこへ行くのか、そして、日本は、何をすべきなのか。聖書の呪縛を受けない人間にできることがあるかも知れません。
