3年前に書いたブログを読み返していました。こんなことを書いています。

『一昨日、前に有機生活楽習宿に参加した人が、久しぶりにメールをくれました。彼は、プロの書家で、その返事の中で、石川九楊という書家の言葉をシェアしました。それは、「書をなんて書いてあるかと読む人がいるが、そうではなくて、どういう風に書いたかを見ることが大事。」というものでした。つまり、書いた結果を見るのでなく、書いた過程を見る、ということだと解釈しています。そのことを思い返していた今日、これは人生も同じだなあと思ったのです。

人生の終わりにどのようになっているか、ではなく、そこにたどり着くまでに、何をしてきたか、が大切だということでしょうか。例えば、1億の蓄財を成し遂げた人がいても、ある人は、コツコツと自分の道を進んで貯めたでしょうし、ある人は、一夜で財テクで築き上げたかも知れません。その価値は、同じ1億ですか?違いますね。そこに至ったプロセス、つまり生き様が違うのです。

今のあいむほーむを始めて、10年経ちます。ようやく形が出来てきて、今から思うと、本当によくやったなと思います。でも、10年前に言っていたことがあります。望みは、完成を見ることではなくて、このプロセスを楽しむこと。だから、完成途上で、死んでしまっても、全く構わないと話してたことを思い出します。人生には、苦しいこともたくさんあります。それを乗り越えるのは、その先にある幸せを求めるのではなく、その苦しみを乗り越えようとするプロセスそのものが宝なのかなと。そして、人生が幕を閉じる瞬間まで、全ては、プロセスなのだということ。』

そして、これを読んだ今、次のあいむほーむ再生への道も、全く同じことなのだと感じています。何を書くかでなく、どう書くか、なんだと。