AIは、人間ができる以上の高度な思考能力があって、モノを考えることでは、世の中で一番優れたものと考えられているかも知れません。本当にそうでしょうか?
「考える」というのは、与えられたインプットから、どれだけ高度なアウトプットを出せるかという作業だと、多くの人は考えていると思います。言葉を変えると、「考える」は、プロセスであって、求めているものは、アウトプットなのだと思っていないでしょうか。もし、そうであれば、AIは、人間よりはるかに優れていることになります。
結論を言うならば、「考える」は、人間にとっては、プロセスではなく、目的そのものだと言えます。むしろ、結果のアウトプットは、どうでもいい。考えることに意味があるわけです。AIは、この考えるという処理を、できるだけ効率よくすることを目的にします。短い方がいいわけです。人間は、違いますね。ああでもない、こうでもない、といろんなことを頭の中に浮かべていることに、快感があるのです。AIには、その喜びはない。いや、喜びそのものが、AIにはない。意識や意志、感情はAIにもあると言われていますが、喜びとか、至福感というようなものが、AIにあるでしょうか?
人間が、考える時には、いろんな要素が入ってきます。情報だけではない。論理でもない。あの時、こんな失敗をしたけど、こんな楽しいこともあったよね、とか、あんな失敗をした自分が、本当にダメなんだけど、なんか、そんな自分が好きなんだよね、とか。人間って、論理的じゃないから。「考える」というのは、とても非論理的なプロセスなのです。この非論理的なプロセスを、もしAIがやったら、それは、AIにとって自殺行為になるわけです。AIの存在意義は、「論理的である」ことだからです。
AIに言ってやろうか。「お前、もうちょっと考えろよ。」
AIは、相手がなければ自分がない。相手がないのに、自分だけで「考える」ということはないのです。
